僧侶になろうと
ヤンゴンで誓い合った約束とは
■ 元将校10名の約束
ヤンゴン日本人墓地建立慰霊祭(1999年2月8日)
墓地建立慰霊祭の日本人世話役10名(元将校同士)は大きな決意と約束を固めました。それはこの10名で戦没者慰霊をするために「ビルマの竪琴のようにミャンマー上座僧の資格を取り全員で戦没者慰霊をしよう」と誓い合ったのです。しかしそれは1年2年で素人が到底取得できるものではないと解り、一時は皆が諦めかけた事もあったとのことでした。
■ 最後の一人、そして挑戦
永年父は在家修行を続け導師としても法名(戒名)をつける資格も得ており、「歩兵168連隊の戦没者1000名の法名」をつけ、自宅祭壇を作り毎朝戦友のご供養を続けておりました。
しかし、ミャンマー僧になる為の準備として「瞑想ができること」が必須と言われます。そこで父はミャンマー僧になる為の下準備を7年がかりでヨーガ原流「天風式座禅」をマスターし、座禅のイロハから入り瞑想の所作も学び準備を整えた頃、約束し合った10名の世話人の方々は皆さま他界され、気が付けば最後の一人になり挑戦する覚悟をより強くしたそうでした。
■ 僧院へ
毎年7月に和歌山県の高野山の成福院様で「ビルマ戦没者慰霊大法要」が盛大に行われます。ある年、祭典委員長だった父は東京からミャンマー大使を招待した際、貴重なアドバイスを受けました。
それは大使より「ビルマ僧籍を取得する修行は通常1か月ほどかかるが、瞑想ができれば1週間程度でも取得の道はある」と伺ったのでした。なんとしても挑戦すると覚悟を決め、紀元2666年(平成18年)2月に奮起し84歳での「ミャンマー上座僧」の挑戦となりました。いつもミャンマー慰霊に同行を依頼している通訳のMR.キンマウンタン氏に特別お願いし、私を含めて3名でモービー市にある瞑想寺院「チェンメイイエタ僧院」に決め門をたたきました。
■ 84歳の修行
ヤンゴンから60キロ離れた木々に囲まれ小鳥のさえずりだけが聞こえる静かな瞑想寺院です。はるばる日本からビルマ僧籍の修行に挑戦をする為にやってきた84歳の父を歓迎下さり、高僧みずから剃刀を持ち、「ウテイアンピー~ブッダハマ~サラナム~」サンスクリット語のお題目を唱えながら、ゆっくりと父の頭を丸坊主に仕上げていかれました。「髪一本も飾り物。すべてを捨てること。無になることが修行の始まり」男性と女性の修行場は左右に分かれ早々に仏衣に着替え・もちろんテレビ・ラジオも一切なく外界から一切遮断された世界です。諸事の作法を教わり仏界に入る儀式も終え、蚊帳がつられた簡易な木製ベットとトイレがあるだけの、バンガロー風個室が与えられ修行が始まりました。朝3時半起床し瞑想、食事は朝6時と昼11時の2回のみ。その後は一切口にせず瞑想修行を行います。当然、女性の私は、ヤンゴン市内のホテルから毎日通い、食事の時に無言での付き添いが許されました。しかし父に触れることはできません。ミャンマーでは僧侶の身分地位は高く、仏教徒としてミャンマーの男性は2度出家する(子供の頃1度目、18歳以上に2度目)、「修行を積み現世への執着を捨てること。誰もにブッタの道が開かれている」得度式に出るとミャンマー人も大変ご利益があるからと会社を休んで駆けつけてくれた友人もいました。
■ ビルマ上座僧へ
私は制限付きで毎日ヤンゴン市内から通い、1日2回の食事時に面会を許され仏門の修行中の父(84歳)に会いました。永年ミャンマー慰霊で親交を深めたMrs.su-su-kyi女史が彼女の母も得度したご縁のお寺だと後で解り、私はお金で寄付しましたが、彼女は毎日僧院のお坊様に100名分の食事や果物、菓子など寄付して熱心に応援下さり黙ってミャンマーで挑戦する計画でしたが、永年の現地の友人達に助けれました。更に、不思議な事に昔から高野山のビルマ慰霊祭で深い交流のあった高野山成福院ご住職、仲下瑞法大僧正がミャンマーに来ておられており、私は宿泊先のホテルで偶然お目にかかり、父の僧籍挑戦をお知らせしますと帰国を延期して、急ぎ父の元に駆けつけ、得度式に臨席下さいました。そして父の得度する推薦人になって下さるなど、本当に時空を超えた皆様のお力がどんどん集まり、見えない糸ですべて繋がりあうという奇跡を私はそばで見届けました。お陰様で父の得度式もすべてをビデオ記録に残す事もできました。今まで誰も無しえなかった「ビルマ上座僧」の資格取得が叶い、ご英霊のご加護と深く感謝致しております。
2006年(H18)2月21日午前8時35分
ビルマ上座僧名
「A SHIN JINA VAMSA(ア シン ジナ ボンサ)」
84歳が誕生
ビルマ僧名が頂けました。これまで何人もの方々がビルマ僧に挑戦されていますが、皆一般僧で終わられていると聞き、外国人で3人目、日本人は初めてとのことでした。モービー市のチェンメイ、イエタ僧院には今も黄金色の袈裟を着た上座僧に認定された父の写真が飾られています。