慰霊の由来
ビルマ戦没者を慰霊する由来について
兵庫県丹波篠山市(篠山連隊跡地)
昭和63年 歩兵第一六八連隊に所属した戦友が実行委員会を作り、十数回に及ぶ会合を行い募金活動、碑文の選定、碑原石 の選定、地元関係機関との折衝とそれぞれ役割を分担し、恒久的な碑を完成させました。
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大田会 慰霊法要のあゆみ
昭和36年より第 168 聯隊 3 大隊七中隊を中心に辻本一郎氏(当時京都学園理事長)・軍医安田光憲氏・小正嘉之助氏・山口敏夫氏・水沢淳也氏ほか多数の戦友の方により、聖地京都霊山観音の地にて法要を始められたものです。
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高野山成福院 ビルマ戦没者慰霊 「摩尼宝塔・納骨塔」建立の由来・継承
昭和40年 「成福院」前住職、故・上田天瑞(てんずい)大僧正(元高野山大学学長)が、ビルマ仏教協会より贈呈された釈迦仏像をご本尊として、ビルマ戦没英霊を高野山において供養することを発願し、摩尼宝塔が作られました。
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開催されるその他の慰霊祭
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